シリーズ「ちょっと知りたい」Vol.2。知られているようで、まだまだ知られていない「工芸の町」東川について。文献を紐解いたり、町民にお話を伺ったりしながら、モトクラシースタッフがちょっと調べてきましたよ。
キャッチフレーズに歴史あり
お米と工芸・観光の町
これは東川町が「写真の町」を宣言する前からあるキャッチフレーズなんだとか。
その時から既に四半世紀以上が経過しているので、若い世代や近年移住してきた人たちは、初めて耳にするフレーズかもしれませんね。2011年に北海道にUターンした私(ハヤシ)も当然知りませんでした。
「お米」と「観光」。この2つは今や東川町の代名詞。お米と観光が結びついていることは、とっても想像しやすいですね。
町の先人たちが発信してきたキャッチフレーズは実にシンプル。それが現代にまで繋がっているのだから、只々素晴らしいと思います。
工芸は?
それではもう1つのキーワード「工芸」はどこにいったのでしょう?
そもそも東川町のモノづくりはどのように栄えてきたのでしょうか。
ちょっと調べてみたくなりました。
数ある工芸の中で、東川町は特に「木工」が盛んな地域です。人口約8,400人の小さな町に、40近くの木工事業者が点在しているのだから驚きとしか言いようがありません。全国五大産地として有名な「旭川家具」も、ココ東川町で多く生産されています。
かつては東川町にも大規模生産を請負う大きな工場があったそうですが、時代の流れの中で徐々に姿を消していくことに。その一方、小規模「工房」が1980年代から、少しずつ創業しています。「旭川家具」という産地には、原材料はもちろん、部品類や刃物類を扱う業者が存在していて、創業環境は揃っていたそうです。
ココでモノづくりを行う理由
東川町でモノ作りを創める理由は、やっぱり豊かな自然環境にあったのだと思います。雄大な大雪山。四季折々の田園風景。鳥や風などの自然音。先駆者たちは、創作活動を行う場所として、喧噪雑多な都市環境よりも、ちょっと人里離れたこの辺りの田舎環境が適していると感じていたに違いありません。
現代の価値観と照らし合わせてみても通用する先見の明ですよね。ソーシャルディスタンスなんて言葉がなかった時代から、東川町のモノづくりは適度に人や自然と距離を保ちながら続けられてきたのだなぁと、こんな時世だからこそ、より強く感じた次第です。
東川町ならではのエピソードをもう一つ発見。
いくつかの工房は、農家の納屋を再活用しています。古くから農家には一般家庭より強力な「三相電源」があり、たくさんの電力を使用する木工にも適していたんだとか。農地取得に比べれば農家宅地の取得はハードルが低く、納屋を再活用することは、理にかなっていたことが推察できます。
とっても間接的な話ではあるけれど、「お米」と「工芸」がしっかり結び付いていて、なんだか嬉しくなりました。
この町にお米がなかったら、工芸もなかったのかも?
これは飛躍した想像ですけどね。
これまでも、これからも。
結局、東川町は今も昔もこれからも「お米と工芸・観光」なのだと思います。
折角だから、今流行りの「近場の観光(マイクロツーリズム)」の目的地として、長閑な田園に囲まれた、東川町の工房巡りなどはいかがでしょうか。
素敵な出会いや発見があることをお約束いたします。
フリーペーパー Vol.7でも同様の記事を書かせていただきました。
誌面では町内在住カメラマン「清水エリ」さんの写真も掲載しています。
とっても素敵な写真ですので、是非ともご覧あれ。
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